にっき

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映画「リズと青い鳥」の感想

ブログの方はごぶさたです.再び趣味全開でごめんなさいです.

このあいだ映画「リズと青い鳥」を観ていたく感動してしまったので,今日はその感想をぐっと圧縮して書きます. 一応ネタバレ注意ですし,視聴済みである方を想定読者として書きます.が,個人的にはネタバレされてから見に行っても楽しめる映画だと思っています.

いちおうネタバレガードのためにネタバレしない範囲でとおりいっぺんの説明をします.

ネタバレしない説明

高校3年生で吹奏楽部に所属している傘木希美さんと鎧塚みぞれさんの関係性を描いた映画です.

フルート奏者の傘木希美さんはいわゆる「みんなの中心」に居るタイプです.友達も多くはつらつとした性格です.

かたやオーボエ奏者の鎧塚みぞれさんはその真逆.あまり思ったことや自分の意見を口に出すタイプではありません.

そんな二人は,3年生最後のコンクールで「リズと青い鳥」という曲を演奏することになりました.この曲は同名の童話をもとにしていて,そのあらすじはだいたい次のとおりです:


1人で暮らしていたおとなしい少女リズのところに突然やってきた元気いっぱいな青髪の少女.ふたりは仲良く暮らしていたのですが,実は青髪の少女は青い鳥が人間に姿を変えていたのでした.その事に気づいたリズは,ある日青髪の少女に別れを告げます.

あなたにはどこまでも飛んでいける翼がある.私がその翼を奪ってはいけない.どこまでも遠く羽ばたいてほしい,と.

少女は泣きながらも,リズのもとを飛び立っていくのでした.


まるで希美とみぞれをあらわしたかのような童話です.この童話と曲をめぐって,二人が色々なことを考えていく映画です.

ここまでネタバレなし(のつもり).ここから先は初見の方は一応慎重になってください.

初見の時点で知っていて良いと思っているネタバレ

賛否両論あると思いますが,私は「希美がリズで,みぞれが青い鳥である」という物語の中核をなす転倒は事前に知った上で鑑賞してもなお面白い映画だと思っています.これを知っていても他の細かな心景描写や関係性変化に関して見るものが多く,充分楽しめます.

それどころか,見るものが多すぎると感じるくらい情報量が多い映画なので,1週目をこの「希美がリズで,みぞれが青い鳥である」という転倒に圧倒されるためだけに使ってしまうのは非常に勿体ないとすら感じるのです.

以下,雑感

ここから先は観てる人向けです.最初に言ったとおりぐっと圧縮した上で,おそらく解釈が割れないポイントも重複を恐れずに書きます.

この映画における一番「派手な」見せ所が上に述べた点,みぞれが本気で演奏する直前のあのシーンにあることは論を俟たないと思います.ただ,個人的には次のように思っているのです.「そうはいってもやっぱり希美はみぞれにとっての青い鳥だし,みぞれは希美にとってリズである.双方が青い鳥とリズ,両方の役割を持っている」と.

作中での「日常」

童話ではリズと青い鳥が別れるまでの日常が比較的ほのぼのと描かれていました.希美とみぞれの日常も,ぼんやり見ていれば(特に序盤において)大きな問題はなさそうに見えます.が,おそらく二人の心の中はそこまで穏やかではなかったのではないかと思います.


みぞれにとって希美との日常は至上のものです.希美が吹奏楽部にいて,希美との時間をこれから先も継続していくためには,希美と同程度の演奏ができることが必要でしょう.当然,希美より下手なのは許されません.それは当人が「希美に見放されたくない」と言っていたことからもわかります.

さらに言えば,希美より上手であることもおそらくみぞれにとって無価値です.みぞれが望むのは希美の隣であって前でも後ろでもないでしょう.

ここからは想像でしかないですが,みぞれは「希美の演奏技術の高低に関係なく,それと同程度の演奏を提示できるようになる」ことを目標に練習を積んでいたとしても不思議ではない気がします.つまり,「どこまでも上手な演奏ができるのは当たり前で,希美に応じて演奏の仕方を変える」ようにしていたのだとしたら.作中で演奏が窮屈だと評されてでも「青い鳥を逃さないでずっと閉じ込めて」おこうとするでしょうし,そのバリアを払ったときに他人を圧倒できるのも宜なるかなという気がします*1

音楽は,みぞれにとっては希美の隣りにいるための手段に過ぎません.


希美にとってのみぞれは「数ある友達の中の1人」というにはあまりに心を占めすぎているように感じられます.作中では最後のシーンを除き直接の言葉には出てきませんが,みぞれの演奏技術に対してそれなり以上に嫉妬していたのではないでしょうか.

みぞれから音大のパンフを見せてもらうところで目が描かれていないこと.3年生4人での音楽室のシーンでみぞれが音大を受けることは「すごい」と言われたのに自分はそう言われなかったこと.新山先生から受けるみぞれとの扱いの差(パンフをもらえた/もらえないの差,練習中も新山先生はみぞれに個人的に指導しているが自分に対してはそうでない),等々…

何かしらの技術をそれなり以上に修め(ようとし)た人間にとって,自分と拮抗するかそれ以上の能力を持つ人間は,良きライバルと映ることもありますが,素直に実力を認めたくない,自分だって同じようにできるという強いおもいを掻き立てる存在でもあります.

希美に,みぞれとの関係と音楽を切り離すことはできません.

みぞれの中の「リズ」,希美の中の「青い鳥」

みぞれの高い演奏能力は作中でも「青い鳥」の象徴として描かれます.しかし,私はこの演奏能力の高さこそがみぞれをリズたらしめてもいるのではないかと考えているのです.

当たり前ではありますが,籠を開ける能力は青い鳥にはありません.それはリズのみが持つ特権です.童話中で「籠を開ける」行為は避けがたい関係性の変化を伴います.それに対応する作中での行為の1つ目はほぼ間違いなくみぞれが本気で演奏して希美をこてんぱんにするあのシーンだと思っています.あのシーンで一気に物語が動くわけですが,では,あれと同レベルの破壊的な行動は,希美の側から起こせたでしょうか?

私はそうは思っていません.希美の隣にいるために身に着けた高い演奏能力が,皮肉なことに籠を開ける能力にもなってしまっていますし,希美にそれと同等の能力はあの時点ではないと思います.

関係の破壊にすら繋がりかねないその行為にみぞれが踏み切れたのは,勿論半分は自分が青い鳥であることに気づけたから.でももう半分に,希美の中に「青い鳥」を見出していたこともあるでしょう.希美の何が青い鳥なのかは作中前半で「ミスリード」されたとおりです.常にみんなの中心にいる希美.ずっと自分のことを(物理的に前に出て歩くという意味でも,精神的にも)引っ張ってくれた希美.これから先の人生も希美らしくあってほしいし,希美にならそれができる.

ほとんど別れを告げに行ってるようなものだと思います.それをやった上で,今度は生物室で自分が振られに行くわけです.

ダメ押し

希美にとって幸か不幸かはわかりませんが,上に書いたようなことを希美自身も薄々気づいていたに違いありません.自分はみぞれほど上手にはなれない.対等になりたいと思ってもかなわない.そしてついにそれを当のみぞれ本人から突きつけられたわけです.更に生物室のシーンでもフルートを褒める言葉はついぞ出てこない.

ところが何が面白いかと言うと,このタイミングで希美はみぞれを籠から解き放った/解き放てたわけです.おたがいさまというか.

みぞれのオーボエが好き.

みぞれにとっては言われたくない言葉だったと思います.みぞれは希美という人間が好きなのです.音楽はその人と繋がるための手段に過ぎません.希美にもみぞれという人間を好いていてほしかったことは想像に難くない.ところが相手から出てきた言葉はその手段を褒めるものでした.決定的なすれ違いです.でも,青い鳥として飛び立つために,その言葉を受け容れる他はなかった.

更に個人的な雑感を一つ付け加えさせてください.この言葉は希美自身も救っていると思います.というのも,自分が複雑な思いを抱き続けてきたみぞれの演奏技術を,嫉妬と羨望が入り交じる対象を,それでもやっぱり好きであると認められたからです.一度はみぞれにこてんぱんにやられた希美ですが,折れずに自分なりの落とし所に持ち込んだ.その決意の表れがラストシーンの「みぞれのソロ,完璧に支えるから」という言葉だと思っています.自分が一番星になるのは無理でも,誇りを持って一番星の隣を演じてみせる.希美のこの台詞が私は本当に大好きです.

最後に

ここに書いたことが全て正しいとは思っていません.無理筋な解釈もあるでしょうし,何より伝えたいことの3%も伝えられていない自覚があります.特にみぞれが本気の演奏に踏み切った理由はもう少し小難しくない説明ができるのではないかと思っています.ただ,私にとってそれはあまり好きになれる見方ではなかった.傘木希美と鎧塚みぞれという人間の,決して浅くない苦悩を自分なりに納得できる仕方で落とし込みたかったのです.

青い鳥を映しているはずの希美の瞳には赤い光が見えるし,みぞれの赤い眼の中心にもまた,一筋の青が映っている.単にひっくり返して終わり,というには余りに複雑な映画でした.

*1:あんまり自信はなく,少し深読みがすぎる気もしているのですが,そうでなければ「籠を開ける」行為が何なのか自分の中で見つからないのです.